18歳ニタリ君のだめ自慢

○ 沢のぼり 

夏は日高の沢登り。十日間歩いても、ヒグマと北大山岳部員にしか遇わないワイルドな山だった。友は30kgオーバーのキスリングを背に、ひょいひょいとバランスよく一本丸太を渡る。

一方、小学校から体育がからっきしダメな私は、転落を嫌い、丸太にまたがってにじり進む。先輩が当時の道新漫画・金親堅太郎作の「ニタリ君」から、私にニタリ君というあだ名を付けて嗤った。自慢じゃないが、笑っていたのは顔だけではない。足腰もふらふらだった。

○ 岩登り

6月は小樽の赤岩へザイルワークのトレーニング。青い海に屹立する崖、絶景に感激した。

しかし、翌日、ツタウルシに負けて、顔面からおち○○○まで腫れて苦しむ。アレルギー体質によって、道内どこの山でもツタウルシが蔓延していることを知った。

もちろんザイルワークは入り口でストップだ。ひるがえって、ヒグマとツタウルシのない雪山の、なんて快適なことか!

○ ピッケル・アイゼン

門田のピッケル。ウッドシャフトを油で磨き、11月に裏大雪の前天狗から鋭鋒ニペソツ山へ登った。

生まれて初めてアイゼンをはいたのが前天狗。それでノコギリのように鋭いニペの尾根を登らせるなんて、先輩、それはないですよ! 尾根にまたがってにじり進む要領で、なんとか登頂はしたが、怖かったヨーン。

ピッケルは1月末に裏大雪ウペペサンケ山へ登るT君に貸したら、見事に雪崩でシャフトが折れて帰ってきた。T君は命びろいしたのだから、いいとしよう。

○ 凍 傷

19歳の正月山行だった。大雪山天人峡から化雲岳を往復した。3年次生Sさんが初めて本格的な冬山のリーダーであるが、6人Pのうち3人が彼の先輩であった。

まとまりがとれないPの中で、2年次生の私は、最初の急崖で太陽が黄色く見えるほどバテた。凍傷になったが、下半身はしびれて痛みがなく、十日間ただただ重い下半身を引きずりながら札幌へ戻った。

薄野の保全病院の診断は、両手両耳両足が重度の凍傷。十日間入院となったが、指の切断は免れた。足指と爪は黒変し、50年戻らなかった。

○   物 理

北大を化学と生物で受験したので、物理の素養を欠く。大学の教養課程で興味を抱いたのは「推計統計学」だけ。PCもエクセル関数もない原始時代。計算尺と算盤だけが武器だった。

雪氷物理屋さんに伍して雪氷学界でなんとか生き延びるには、「あんた達は現場を知らないアタマデッカチ」とか負け惜しみのセリフを吐くものの、大概は分かったふりをせざるを得ない。

当然学問の世界は甘くないから赤恥をかく。ただ風雪に叩かれて面の皮が厚いだけの話。みなさん、諦めの境地で見逃してくれている。ありがとう!

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